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本年度ミラノ賞受賞の宮園夕加さんにミラノでの暮らしを紹介していただきます。
展覧会が終了しました。 応援してくださったみなさま、お越し頂きましたみなさま、本当にありがとうございました。
ミラノに工房をもつニットブランド・ユリパークさんのショールームにて、作品の展示、そしてユリパークさんのニットに私のボタンをつけて頂くというコラボレーションを行いました。平日はスタッフのみなさん・職人さんと共に過ごし、まるでスタッフの一員になれたような気持ちで在廊することができました。ニット、職人、技術、糸…、そして『ものをつくる』ということに真っ正面から向き合っているユリパークさん。そこから生まれてきたニットに自分のボタンがつくことに感激すると同時に、自分のボタンへの勉強・経験・知識不足を恥ずかしく思う気持ちが湧き上がり、とても複雑な心境でした。
– YURI PARKさんでの展示の様子 –
なんて言われ続けてきましたが(笑)、今私の脳裏に濃ーく浮かぶのは、復職する服飾資材商社の会社と、一緒にボタンを作っていたボタンメーカーさん、ボタンの工場の風景です。ミラノでたくさんのものを見て働いて経験し、そして到着した場所は『日本でもう一度、一からボタンの勉強がしたい』ということでした。自分の手で物を作るということは私の生活からは切り離せないことなので復職後も続けて行きますが、でもまず、会社の一員として働き、そしてその中から勉強させてもらうことに集中したい、そう思っています。
– もう一つ、Ateriel Yoojさんで行ったランプの展示 –
Ateriel Yoojさんでのカクテルパーティーには、スタジオの社長とスタッフのみんなも来てくれました。この写真を、撮影時外出してしまっていたダニエレに送ると、すかさず自分の写真を合成して送り返してくれました。本当に、楽しい職場です。
今日は、ミラノで通っているスタジオのお仕事を紹介します。
“建築事務所”と聞くと、建物を建てるイメージがありますが、
それだけではなくて美術館、店舗のデザイン…多種に渡ります。
MIGLIORE+SERVETTO
スタジオの中で、仕事に合わせてグループが結成されます。
同時期に複数の仕事を手がけられているため、
所長の二人はいつも忙しそう。
それでも、冗談や笑いが絶えない素敵なスタジオです。
建築学科でも空間デザイン専攻でもない私ですが、
卒業後、イラストレーターとフォトショップを使ってボタンなどの
資材をデザインしていました。
ということで、スタジオではこれらでできる仕事を担当しています。
現在、ブラジルで開催されている
“GIUGIARO, 45 ANOS DE DESIGN ITALIANO”
イタリア人プロダクトデザイナー、
ジョルジェット・ジウジアーロの作品を紹介する展覧会です。
このスタジオが展覧会全体のデザインを手がけられたのですが、
キャプションに使用される各プロダクトのアイコンや説明パネルに
描かれるイメージの画像を描かせて頂きました。
ブラジルへは行けませんが、
搬入後やオープニングパーティーの写真がメールにて送られてきます。
スタジオの一人が「写真が届いた!」と言うと、
スタジオのみんながワーッとそこに集まって写真を鑑賞します。
自分の手がけたものが展覧会の一部になっていることを知る、
とても嬉しい瞬間です。
私が描いたアイコンはシールとして印刷され、会場に貼られています。
「ゆうかが手がけた仕事だから、試作品のシールの一つをあげるよ。」
とクリスティーナがくれたGIUGIAROシール。
大切に、手帳に貼ることにしました。
「ボタンのデザイナーなのに、何で建築事務所に通うの?」
そう聞かれることも多くあるし、私自身もずっと…不安でした。
でも、異業種の世界に飛び込めたからこそ、新しい視点や、
感覚が手に入ったように思っています。
そして何よりも、言葉もろくに分からず、トンチンカンなイタリア語しか
話すことのできない私に、 明るく話しかけてくれて、
そして仕事を任せてくれる、このスタジオのみんなと一緒に過ごせていることが
今の私にとって貴重な時間だと思っています。
イタリアでは一般的に、クリスマスは家族と、お正月は友だちや恋人と過ごします。
これを聞いて1人で過ごすクリスマスを覚悟していた12月のある日、
ミラノで知り合ったイタリア人の友だちから『我が家のクリスマスに招待するよ』という嬉しいメールが届きました。
『クリスマスはとにかくたくさん食べるから、その前の3日間は絶食しておいてね』 と冗談混じりの忠告付きで。
そして当日。
集合は13時、到着するとご両親、兄弟、いとこ、親戚…10人くらいの方々が温かく迎えてくれました。
そしてすぐにお昼ごはん。
“たくさんの時間をかけて作っても、食べ終わるのはあっという間”という説明の通り、
あっという間にごちそうたちがお腹の中に。写真を撮るのを忘れるほど美味しい料理でした。
(最後のクッキーのみ、撮影。)
つぎに、ビンゴのようなゲーム『tombola』
50セントと少しの額ですが、お金をかけているので大人も子供も必死です。
そうこうしていると、なんと!!!家にサンタさんがやってきました。
親戚の方の1人が、小さな子どものために変装してくれています。
それを分かっている私も一緒になって大喜び。
子供の頃、ずっと憧れ続けていたサンタさんにやっと出会えたような気がして、感動してしまったのです。
そしてなんと、私にもプレゼントがありました。
手紙の差出人には、招待してくれた友だちとそのご両親、弟さんの名前が。
親戚の方々からも個別にプレゼントがあり、大感激でした。
(イタリアではクリスマスに親しい人たちでプレゼントを交換します。
そのため、スタジオのみんなもクリスマス直前はプレゼント購入で忙しそうでした。)
とってもあたたかなクリスマスの風景ですが、実は、
ここにいたメンバーの中には、友人のおじさんの現在の奥様とその間の3歳くらいの子、
そして前の奥さんとその間の15歳の子、という関係性もありました。
イタリアは『拡大家族:前の結婚からの連れ子のいる夫婦を含む家族』という言葉が
日本よりも浸透しているそうです。
離婚や再婚を経験しても、それでもまた、みんなで楽しい時間を過ごせるイタリア人たちに
尊敬の思いを抱くと同時に、皆が各自宅に帰っていく別れ際、涙目になっているように見えた
15歳の子の背中を無意識に撫でてしまった私です。
他の国の文化を知ること、
それによって今まで自分が抱いていた価値観やコンプレックスが大きく揺さぶられます。
今まで『絶対だ』と思っていたものは、本当は不安定で変化していくものだったことを、
今ここで学んでいます。
最近のこと。
1
スタジオのみんなとカラオケに行きました。
イタリアにもカラオケがあるのです! 発音もこのまま、カラオケ。
でも個室ではなくて、日本で言う温泉の宴会場みたいなかんじ。
カラオケにみんなで行った理由は、スタジオのスタッフの送別会をするため。
そしてこの会の企画者は、退社する子本人。イタリアでは“主役が幹事さん”になります。
(ちなみに誕生日も。自分の誕生日にケーキやお菓子をみんなにふるまいます。)
“今晩、カラオケ”
レストランにいるお客さん全員で歌うので、なかなかマイクは回って来ません。
曲と番号が一覧になっていて、紙に数字を書いて店員さんに渡します。
帰りはヴァレンティーナに車で送ってもらいました。ありがとう。
2
実は、日本ではユニットとしても作家活動をしています。
→ girls
編集者の林央子さん(『here and there』発行人。著書に『拡張するファッション』『パリ・コレクション・インディビジュアルズ(1,2)』 など)のファン、という共通点で集まった4人です。
そのメンバーであり、画家・詩人の山口智子さんがミラノに来られ、一緒にベルリンへ行って来ました。
その旅の様子をとてもステキにブログにまとめくれていますので、ここで紹介します。
褒め上手な智子さん…。実際の私はそんなにしっかりしていないので、とてもとても恐縮なのですが…。
でもこの智子さんブログ、今の私にとっては宝物のような、お守りのような、そんな存在です。
朝から雨。
週一回、家の近所で開かれるメルカートへ野菜と果物を買いに行く予定がおジャンです。
そんな朝、“さっちん”こと、ヒライサチエさんから荷物が届きました。
さっちんは羊が大好きで、いつも原毛(羊の毛)を紡いでいた子。
材料でごった返した教室の片隅で、大量の原毛に埋もれながら、NHKの語学放送を聞きながら、いつも紡ぎ機の前にいました。
卒業後は北欧へ、羊に囲まれて、糸を紡ぎ、その糸で布を織ったり編んだり…。
作品も、生き方も、いつも純粋でストレートで正直。そして努力家。
そしてなんと、さっちんが送ってくれたもの、それは手編みの手袋!!
スウェーデンのエーランド島の羊の毛、とのこと。
手袋買いたいと思っていたんだけど、さっちん、どこからか見てた?w
スウェーデンで羊毛のことを沢山勉強してきたんだろうなぁ、と想像させてくれる同封してくれた冊子。
さっちんの人生が詰まったようなこの手袋、私の生活に入り込んで、そして馴染んでいくってすてきなことだなぁと思いました。
ミラノでは、主に月末の日曜日にいろいろな場所で蚤の市が開かれています。
いつもお世話になっている女子美イタリア支部の奈津子さんの旦那さまが蚤の市好きということで
いろいろな場所で開かれている蚤の市に車で連れて行って頂いています。
奈津子さんと、旦那さんであり舞台装置家のAntonioさん、とても素敵なお二人で、
ご自宅に招待して頂いたり、一緒にお食事したり、いろいろな場面で支えて頂いています。
感謝してもしきれない、自分が出世したら絶対恩返ししたいと思う方たちです。(その為にも頑張らないとね…。)
さて、蚤の市ですが、目のやり場に困るほど商品と店舗で溢れています。
行くたびにソワソワしてしまう私ですが、先日、奈津子さんからこんなお言葉を頂きました。
「本当に縁があるものは、ものが自分を呼んでくれる」
だから、焦る必要はないそうです。あぁそうか、と純粋にそう思いました。
思えば、ものに限らず、人も仕事もなんでも、そうだと思ったのです。
最近読んだ本の引用です。
人はみんな、道はたくさんあって、自分で選ぶことができると思っている。
選ぶ瞬間を夢見ている、と言った方が近いのかもしれない。
決して運命論的な意味ではなくて、道はいつも決まっている。
毎日の呼吸が、まなざしが、くりかえす日々が自然と決めてしまうのだ。
今日は、今の私の日常を綴ります。
ミラノの景色を日常の風景として見れること、それは前から望んでいたことで今とても恵まれた環境にいるのですが、正直に言うと、今の私にはそれを堪能する余裕がたくさんあるとは言えません。だからこそ、このブログに残しておこうと思います。
朝、東向きのマンションの大きな窓から朝日を眺めて、一日がスタートします。
平日、月曜日から金曜日の朝9;30~18:30までMIGLIORE SERVETTOという建築・デザインの事務所に通っています。全員イタリア人です。専門分野の違う私ですが、それでもできる仕事、例えばPhotoshopを使って空間の合成イメージを作成したり、資料となる画像を探しなどを手がけさせて頂いています。
↑ 最寄り駅からこの運河沿いを歩いて通っています。
お昼休憩は13:30からの一時間。みんな一緒に昼食を食べています。タッパーでパスタやサラダを持ってきて、お皿に盛り直して食べます。タッパーで食べないところがイタリア的美意識ですね。食後は必ずエスプレッソを飲みに近所のバールへ行きます。
平日の火曜日と木曜日は、夜の二時間の語学学校に通っています。なんとかイタリア語を話したり聞けたりできるようになったものの、まだみんなの日常会話にはついていけません。仕事の指示も聞き返してやっと分かるという場面もある状況なので、語学勉強はずっと続けています。
何が辛いか…?やはり語学です。
ミラノに着いてすぐは全く話せませんでした。日本で勉強を始めたのが11月。5ヶ月間、会社に通いながら勉強をしていたのですが、ミラノ到着時はあまりの分からなさに愕然としました。語学学校といってもイタリア人の先生がイタリア語をイタリア語で説明します。日本語ですら理解できなかった文法をイタリア語で説明されても…語学学校ですら泣きそうになる場面が何回かありました。何故って…先生が怖かったのです。
そんな中、近所のパン屋さんのマハムーという店主さんに何度も助けてもらいました。彼はエジプト人なのですが、とにかく明るい人でいつも笑っています。全く話せなくて困っている頃、「ゆっくり少しづつ勉強するしかない」と励ましてくれたり、イタリア人の友人からのメールで辞書を引いても分からない表現がある時はマハムーに聞きに行ったりしていました。パンを買わない朝も「チャオ、マハムー!」「チャオ、ユウカ!」と挨拶だけ交わして事務所に行きます。そうすると、なんとなく一日を頑張れる気がします。
↑ マハムー。笑顔が眩しいです。
マハムー以外にも、女子美の大先輩である奈津子さんと和子さん、そしてその周りにいらっしゃる方々、イタリアで知り合った日本人の方、イタリアのボタンメーカーさん、近所のバールの店長、クリーニング屋さんの奥さん、マンションのご近所さん…たくさんの人に助けてもらっています。それでやっと、ここで生きていけています。
人に親切でいたい。
本当に基本的なことですが、よく思います。
5年に一度だけ行われる大型国際現代美術展dOCMENTA(13)に行ってまいりました。
場所はドイツのカッセル。
ミラノを朝6時に出発し、カッセルに着いたのはなんと午後の3時。9時間近くもかかってしまいましたが、その道のりも楽しくて、その長い時間もドクメンタの一貫に思える、想い出深い旅になりました。
Geoffrey Farmer コラージュの作品。25mくらい?続きます。
楽器職人の街 クレモナに行って来ました。
ミラノ中央駅から電車で1時間程のところにある、
一日で散策できる小さくて、かわいらしい雰囲気の街でした。
Museo Stradivariano
バイオリンの作り方が詳しく説明されています。
Antonio Stradivariのバイオリン製作時の道具の展示室。
前年度ミラノ賞受賞の高橋さんに紹介して頂いた、
ヴァイオリンを作っている実穂さんに会いに行くのが目的の旅。
作業の様子も見せてもらいました。
道具たち。
豆鉋と呼ばれる小さーいかんな
作業中。
一つ一つ手作業で、じっくり丁寧に、たくさんの時間をかけて
一つのものをつくるということに
改めて魅力を感じました。
そういったものが人の暮らしの中に溶け込んでいくこと
ものに作り手の気持ちが宿って、それが大切に使われること
そんな暮らしがしたいし、そういったものを作りたいと思いました。
会期:2012年7月5日(木)-7月10日(火) 11:00 -19:00(最終日は17:00まで)
会場:PROMO ARTE project Gallery 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前 5-51-3 ガレリアビル2F
http://www.sanada-studio.info/news.html
アヌシー国際アニメーションフェスティバルに行ってまいりました。
アニメーションのフェスティバルとしては世界最大規模のイベントで、
街のあちこちにある会場や映画館、野外プロジェクターで
長編や短編、学生の作品が上映されていました。
海外での旅行は初めてで、パリ賞の織衣せんぱいと行ってきたのですが、
アクシデントと出会いの連続。想い出深い旅行となりました。
↑靴下の色がピンクなのが、さいこうでした。
先月、ミラノサローネが開催されました。
↑MOSCHINOも家具を出店していました。
↑日本のkarimokuも出展されていました。中の素材を展示するのは日本ならでは?
私が今住まわせて頂いているマンションは
とにかく素敵なお部屋です。
大学の卒業生であり、マンションの大家さんでもある
西尾さんの作品が飾られています。
そして!先日、西尾さんから頂いたドライフラワー!!
わたし、ドライフラワーが大好きなのです。嬉しい!
このお部屋で1年間頑張ります。
高校生の時から、ボタンのデザイナーを目指して生きてきました。
美大に行って、ボタンの会社に就職して、夢を実現することができました。
たくさんの方に支えられてここまでこれたので、ただただ感謝する日々です。
でもずっと引っかかっていたこと。
それは、ボタンは日本の文化ではないこと。
日本は着物の文化なので、「ボタン」でなく「紐」です。
つまり、ボタンのデザイナーと言いながら、本場を知らないのです。
それは、フランス料理を作っている人が、フランスに行ったことがないとの同じだと
そう思ってました。
なので、20代のうちにヨーロッパに行くことを目標としていました。
そんな中、母校が卒業生を対象に開催しているコンペで賞を頂いたので、
2012年4月から1年間、イタリアのミラノで過ごすことになりました。
会社でボタンやその他服飾資材の企画をしている中で
「イタリア」という国名は多く出てきていたので
いつしかこの国を目指すようになりました。
「わ。こんなこと言っちゃう?」ってかんじですが、
「願うと叶う」って本当だなぁと思います。
それは、たくさんの周りの方の支えがあってからこそなのですが。
そして、会社は
1年間の休職をさせて頂けることになりました。
まわりの方からは、今時こんなことを許して休職させてくれる会社はないと言われます。
1年間必死で勉強して、会社に復帰して
すぐには無理でも成長して会社に貢献したいと思っています。
1年間という限られた時間ですが
人間的に成長したいと思っています。
2012年4月
(早速ホームシックですが…。)
宮園 夕加
Yuuka Miyazono
2008年女子美術大学芸術学部ファッション造形学科卒業後、清原株式会社入社。
2010年第16回「日本ボタン大賞」グランプリ 経済産業大臣賞 受賞。
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